『太白』はそそり立つ太白山に由来する。そして「太白」星は金星の中国名であろうし、西欧では美の女神、太陽・月に次いで三番目に明るい。
発刊のことば
私は仙台市太白区の、愛宕神社の鐘の音を聞いて暮らす愛宕学区に住んでいるので、前回の句集名は『愛宕』とした。
今回の句集にも、区名の『太白』を頂くことにした。太白区はその中ほどにそそり立つ太白山に由来する。この名は、金星の中国名「太白」であろうし、夕方西を望めば、この山の上に宵の明星たる金星が輝いている。
「太白」星は、西欧では美の女神であることも魅力的だが、「太白」とは、最も光り輝く星の意味で、太陽・月に次いで三番目に明るい天体であることもうれしい。この句集は、星屑の一つになるものでもあるまいが、「太白」にあやかりたいとの志だけは、この名の中に籠もっているということになろう。
梅沢一栖主宰が俳誌『澪』第1号を発刊したのは、昭和42年(1967)1月で、今年平成8年(1996)は、30周年の年に当たる。私が梅沢伊勢三先生のご交誼を賜ったのは、戦後間もなくからのことであるが、俳人一栖主宰の『澪』に参加したのは、創刊後10年ほど過ぎてからである。そして、平成元年の一栖主宰没後、思いがけず結社の運営を主宰として継承することとなり、今日に至った。それで、『澪』の30周年を記念するものの一つになろうかと思い、「澪叢書」第12集として、この句集を刊行することにした。
一栖前主宰は、水原秋桜子の『馬酔木』に入門し、阿波野青畝の『かつらぎ』にも投句していたが、角川源義が俳句の抒情の回復を旗印に『河』を創刊するや、そのすすめによって『河』同人として参加、当月集同人として重きをなしていた。『澪』は、『河』仙台支部の句会報として発足したというが、間もなく『河』以外の人々を加えた俳誌となり、俳句結社『澪』となった。戦後間もなく東北大学において、私は梅沢伊勢三先生に「日本思想史学」の講義を受けた。のち、文学部の研究室で、先生は講師、私は助手としてご一緒して以来、はかり知れない学恩をうけたが、始めは梅沢先生が一栖と号する俳人であるとは知らなかった。私は「日本文芸学」の岡崎義恵先生と、「写生説」の北住敏夫先生について学んだのだが、北住先生の出版の手伝いのことなどで、角川源義が自宅の二階を事務所にしていた角川書店に伺ったことがある。そして、源義ご一家にもお目にかかり、十歳余の少年だった春樹君にも会っているが、その時は迂闊にも、源義が著名な俳人であったことを知らず、春樹少年が俳句でも有名になろうとは知るよしもなかった。その後も、俳句の指導を源義から受けたことはないが、その作風には関心をもつことになった。
なお、北住先生は「写生説の研究」で学士院賞を受賞されたが、私はこのご研究などから、歌人斎藤茂吉の「実相に観入して、自然自己一元の生を写す」という写生説に魅力を感じ、そのような作品ができればと、ひそかに思ってはいた。
中学時代から、多くの青少年がそうであったように、啄木調や牧水調の短歌が好きだった。しかし、長ずるに及んで、「日本文芸研究会」などでお目にかかることの多かった梅沢先生の作風に惹かれ、その人柄に傾倒して、勧められるままに俳句の道にも入るようになったのである。それで、私の師と仰ぐ人は少なくないが、俳句の師系ということになれば、角川源義系の梅沢一栖門下ということになろう。
『澪』には、次の「一栖作句公案」がある。
一、日々の生の確認
二、万物万象との交感
三、刹那の永遠化
この三条は、句作の心得というよりは、この世に生を受けた人間の、生きのあかしを常に確認しようということである。日本思想史学者一栖先生の生の理念であり、俳句の心でもある。
はかなく過ぎてゆくのが日常の生である。そのような時間と空間の中で、万物万象と共に、充実した人生を送るものには、良い俳句が授かるはずだと、私はこの「作句公案」を解釈しているが、現実はなかなか理想通りにはなっていない。しかし、理想は高い方がよいはずだ。
俳句は五七五の音節によって成り立つ世界最短最小の、眇たる詩形である。これを「極微の芸術」とされたのは岡崎義恵先生である。その微の中に宇宙の万象から、人間の心理の襞の奥までを詠み込むことができるとすれば、俳句作者の冥利に尽きる。小さな器に大きなものを盛るという絶対の矛盾は、この俳句文芸が解決してくれるはずなのだが、それは容易なことではない。芭蕉は「俳諧いまだ俵口をとかず」(『三冊子』)といい、俳の世界は奥深く、まだまだ前途遼遠であるという。芭蕉から300年を経た今日でも状況は変わらない。ただ、無限の彼方にある完成を目指して俳句は進んでいるのであろう。旧制高等学校の頃は、「偉大なる未完成」という言葉が好きだった。よわい古希に近づいて、若い時代に考えた「未完成」が懐かしく思い出されるようになったのは、前進への活力が薄れたためであろう。この小句集は、文字通り未完成で、意に満たぬ作ばかりであるが、俳の世界での清遊の軌跡となりそうな作品を選んでみた。
この句集上梓にあたって、『澪』の各位、並びに俳句ゆかりの方々から学ぶことも多かったと、改めて思う。皆様のご厚情にもお礼申し上げたい。
本書の題字『太白』の揮毫は、前回の『愛宕』と同じく、同窓の畏友で、『白露』の俳人片野達郎君による。印刷出版も、同窓の長谷川進君のお世話になった。これも記して感謝申しあげる。
平成8年11月
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