私と三・一一 ─ 復興日本について
桂 重俊

 三・一一東日本大震災から約五ヶ月がたった。復興日本について二三考えたことを書いてみたい。

 日本が原子力の平和利用を導入することに決めたのは一九五五年八月、「原子力平和利用国際会議」に中曽根康弘(民主(旧))、前田正男(自由),松前重義(右社),志村茂治(左社)の超党派四名が松前の主唱で共同出席したことに始まる。五五年一二月には「自主、民主、公開」の三原則を盛り込み、軍事利用には用いないことを明言して原子力基本法が成立した。この三原則は学術会議において朝永、伏見、武谷等によって提案されたものであった。四党協力の出発であったが間もなく社会党は離れた。一九五六年東海村に原子力研究所が設立され、核燃料加工施設JCOがおかれた。JCOは一九九九年臨界事故を起こした。最初の商用原子力発電所は一九六三年東海村に設置された。現在は五四基となり、日本の総電力の二五%を占めるにいたった。

 この間、一九七九年スリーマイル島において、一九八六年チェルノブイリにおいて、二〇一一年福島において原発事故が起こりその安全性は危険視されるに到った。
 スリーマイル島原子炉事故
 一九七九年三月二十八日アメリカ合衆国ペンシルバニア州スリーマイル島原子力発電所の二号炉において蒸気発生炉への給水が途切れてしまい、冷却水の不足のためメルトダウンを起こし、燃料の四十五%が熔融した。レベル五の事故。
 チェルノブイリ原子炉事故
 一九八六年四月二十六日ソ連(現ウクライナ)チェルノブイリ原子力発電所の四号炉がメルトダウンの後爆発した。一九九一年ウクライナに処理義務が移る。三〇km以内居住禁止。三五〇km以内に高濃度汚染地帯が一〇〇ケ所点在し農業畜産業は禁止。広島原爆四〇〇発分に相当。レベル七の事故。爆発した四号炉を閉じ込めるためコンクリートの石棺がつくられ、延べ八〇万人が動員された。

 以上のことから復興日本の進むべき道を考えて見よう。福島原発の事故にたいしてはIAEA(International Atomic Energy Agency 国際原子力機関)の定めた国際事故評価尺度に照らして原子力安全保安院によりチェルノブイリ事故と同等のレベル七が与えられ、ドイツ、イタリヤは国の政策を反原発の方向にきった。我が国においては菅首相、マスコミ、国民は概ね反原発の方を向いているようであるが、肝心の経産省および閣僚の大部分は原発容認派のように見える。先ず原子力発電依存政策からの脱却を考えるべきである。原発は止めようのない大きな危険性があることを知りながら推進派の人達は強力強引に推進してきた。そして福島原発事故は想定外の事故だという。しかし反対派の人達にとっては想定内のことだったのである。高木仁三郎、広瀬隆、小出裕章,桜井淳等の論説を見れば明らかである。推進派は権力を握り、反対派に尾行迄付けて監視したという。反対派の中には何十年も昇進まで止められた人もあった。

 推進派に言わせれば原発が無ければ日本の工業は成り立たないという。環境政策研究所による一九六五年から二〇一〇年までの水力、火力、原子力による発電電力量(註)をみると一九九〇年頃の電力総使用量は二〇一〇年の火力発電量と水力発電量の和とほぼ等しい。我々が一九九〇年頃程度の工業水準、生活水準で我慢すれば原発の電力にたよる必要はないのである。

 (註) 上岡直見 http://www.janjanblog.com/archives/36143

 近年の日本は贅沢になりすぎたのである。過度の照明はやめる。コンビニは二二時に閉店する。自動販売機は廃止または減少する。酒、煙草は自動販売機では売らない。これで未成年の禁酒禁煙に役立つ。テレビは二四時から五時までは緊急放映を除いてやめる。スポーツも原則として夜間は行なわない。テレビのチャンネルは半減する。そのかわり計画停電は行なわない。必要があれば列車の本数も減らす。以前には車窓から景色を眺める楽しみ、汽車で友人を作る楽しみがあったが新幹線はこの楽しみを奪ってしまった。夜間照明は防犯に必要な限度にとどめ、風景のライトアップはやめて自然を観賞すべきである。

 学校は土曜も授業を復活し,塾ではなく学校を勉強の本場とする。欧米では日曜は教会に行く日であるので土曜も休日であるのである。忠君を除いた教育勅語の改訂版をつくる。戦後の歴史教育ではなく、戦前の歴史教育でもなく、これらを止揚した歴史教育を行う。戦前の思想に反抗して国旗、国歌に刃向かった人々の心情も分からぬではないがまだ世界の単位は国家である。そして休日を減らす。特に現在振り替えで月曜が休みになるのはやめる。学校の場合月曜に授業のある科目は授業計画が立たない。
 次に小泉・竹中改革を省みよう。その郵政改革は国民の財産郵貯三百五十億に米国の保険会社の参入を認めるための改革であった。経済至上主義小泉政権の五年間で所得格差が拡大し健全な中産階級が崩壊した。経済至上主義の米国流競争原理で全てを律しようとし、地方が見捨てられた。経済財政諮問会議で大筋をきめ、「万機公論に決する」原理が捨てられた。郵政省は日本郵政公社となり、ついで日本郵政株式会社となった。米国流競争原理は撤廃して旧日本流に戻るべきである。郵政民営化に伴い、クロネコヤマト等も物流の配達に参画した。私が分からないのはクロネコヤマト等に未だに信書の配達が禁止されていることである。郵政民営化以前からそう思っていたが民営化された今日この規定は即刻廃止すべきであると思っている。

怖れゐし原発事故の起こりたりあれほど安全と言ひてゐたるに 上田 善朗
原発という声聞けば思わるる市井の科学者高木仁三郎 篠原 三郎
絶対を想定外が覆す科学の粋の原発に事故 小林 正人
姿見ぬ人に二種あり原発の内部作業者、最高責任者 奥本 健一
春キャベツ七千五百株畑に残し男自殺す核汚染苦に 喜多  功
原発の空のしかかるふるさとのここにいるしかなくて水飲む 美原 凍子

(二〇一一・八・二三記)

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