海の呼ぶこえ
丹治 久惠

 その日東京のビルの三階にいた私は、次第に大きくなる揺れにドアを開けようとよろけながら入口に行った。部屋の物の出す音が、揺れが、恐怖心を募らせる。長い、長いと思いながら部屋の何人かとただ収まるのを待った。帰りの足は総て奪われていた。寒空に一時間半待ってもバスは来ず、タクシーは悉く満車、しかも渋滞でなかなか進まない。歩道は家路に向かう人人で溢れ、さながら民族移動のよう。ぞろぞろと行く人間の群に、ああここは都会なのだという思いが今更のように刺さる。
 翌日自分の部屋に戻ってドアを開けたとたん足の踏み場もないとはこのことと、その散乱の状況に目を見張った。どうにか物と心とを建て直しテレビを起こして点けてみる、どうやら壊れていないことにほっとする。やや間があって映った映像は紛れもなく巨大な津波が町を、家を、車を、押し流す様子、それこそ天にも届くような波頭、高台から下に向かって叫ぶ人、声。また車が何十台も打ち重なって流されていく、次々に映しだされてくる映像にただただ呆と見入るばかりだった。
 生まれ、育ち、生活した六十余年の塩竈の家も海のそば、実家もそこ、どうなっていることかと気が気ではないが映像には全く映らない。通信手段はない。本当は塩竈のそこにいるべき自分がいまテレビの前に居て惨状を見ていることに、後ろめたさ、罪悪感めいた感情になる。実家、姉妹、身内、親戚、友人はと思いだけががぐるぐる回るだけ。津波に比すれば地震の被害はまだ救われようか。
 そして、福島原発の爆発事故のニュースが流れた。なんということ、不安の戦慄が走った。津波よりもっともっと恐ろしい、と。その時点ではまだ次々と起きる爆発や熔融までは思い至ってはいなかった。原発の事故で日常を奪われ、在るべき場所に戻る術を失ってしまった人達、放射能に比すれば津波はまだ救われようか……。

 長歌
かのあの日 黒き雨降り なにこれは 知らずにぬれて その色に ただ驚きぬ おののきぬ 昨日の雨は 色あらず 臭ひもあらず 慈雨のごと 乾ける町に やさしさを 恵みゆけりと よろこべど そは核の雨 黒き雨 ヨウソセシウム おぞましき 六十六年 歳月を 経てきてまたも 核の雨 核を匿して 雨は降る 大地に海に 降りそそぐ 目にみするなく 降りそそぐ 臭ひももたず 色もたず 生命の水を 汚しつつ 生きとし生くる もののうへ すべてのものを 侵しつつ ただおろおろと おろおろと 赤子抱えて 親若く 海をみつめて 佇つばかり 海の底には 数しれぬ 津波浚ひし 屍の 無念なる声 ひしめきて 海鳴りとなり 波となり 届けとばかり 打ち寄する 寄せてはかへす 波なれば 寄せてはかへす 死者のこゑ とどかぬうちに またかへる 大事な人に とどくまで 日に夜をつぎて うち寄する 波打ちぎはに 遊ぶ子は 一人とてなく さむざむと ひかりは波と 睦るれど 寂しく遊ぶ 波と風 笑ひはじける こゑよいづこに

 反歌
ぬばたまの闇にひかりをまさぐりてどこまでゆけば戻る道ある

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