大 村 虔 一
(宮城大学副学長)

 東北都市学会を中心に進められていた『東北都市事典』が刊行されるはこびとなった。出版企画から4年がかりの労作とのこと、よろこばしい限りである。
 執筆陣を見ると、学会員を中心にテーマへの適切な人材を幅広く求めていて130人。見出し項目はテーマ編として209項目あり、他にデータ編33項目が付く。取り上げている209の項目は、いわば中位のテーマ設定で、東北の都市あるいは暮らしを語る切り口として厳選されているように見える。いわゆる「東北」の語を冠した類書とは若干違って、東北の歴史や風土上のテーマが網羅的に並んでいない。むしろ東北に暮らす人々の今日や明日への願望を含む、都市生活に関するテーマが拾われていて、暮らしに結びついたフットワークのよさが本事典の身上である。
 タイプとしては「引く」というよりは「読む」事典である。記述は単なるテーマの解説にとどまらず、ひとつの物語のような語り口で展開される。そしていつしか、その背後にある東北の存在、あるいは東北として考えなければいけないテーマの存在を意識させられる。
 次第に狭くなる地球のなかで、その多様性の確立のために、東北は世界に向かってどんな貢献ができるか。意識の下に埋もれかけている先祖が残した遺産を、私たちはどう見極め、次代に向けて伝えるべきか。居住エリアの都市集中が進むなかで、とりわけ情報革命が進行するなかで、豊かな自然のなかにわずかな人口が暮らす東北のイメージを、未来に向けてどう描くべきか。
 『東北都市事典』はこうしたテーマに直接答えることを意図してはいない。しかし現時点でのこの事典編纂の意図は、まさに明日に向けた自らの足場の確立にある。この事典が、東北を愛し、その明日に希望を託そうとする大勢の市民の座右にあって、その行動の指針として役立つことを期待してやまない。
 

成 田 龍 一
(日本女子大学教授(日本現代史・都市史))

  二十世紀の都市の変貌ぶりは、すさまじい。都市は変貌しつづけるものとはいえ、その変化には目を見張らされるものがある。こうした都市を捉えるためには、現状に対する鋭敏な感覚と、歴史への深い理解が必要であろう。また、精緻な理論的な把握とともに、現象を柔軟に理解する感性が求められるであろう。都市への考察は、したがって学際的な営みとして展開され、歴史と現状、運動と政策などを課題とし、多くの議論が積み上げられてきた。
 しかし、とはいうものの、都市研究において対象とされる都市が、東京や大阪など「大都市」に集中し、視点もしばしば「中央」に偏していたことは否めない。江戸や東京、大阪や京都に関しての研究や出版の多さに比して、地域の都市はいささか分が悪かった。
 だが、そもそも都市への関心と接近は、都市という空間の歴史と現状を「民衆」の立場から問い直すことを意図していた。「民衆」―「都市」―「地域」の三者がどのように接合するかを課題としている。このとき、「東北の都市を語りつつ東北を語り、東北を語りつつ東北の都市を語る」ことを目指した『東北都市事典』は、この課題に正面から答えようとするものといえる。二つの空間――ひとつは「東北」、いまひとつは「都市」から、その「歴史」「現状」「課題」をあきらかにしようとする『東北都市事典』の出現は、まことに時宜を得たものである。
 そしてその中身も、期待に沿うものとなっている。『東北都市事典』は、東北都市学会の会員他130名が242の項目を執筆しているというが、「身近な自然」から説き起こされ、東北の風土にかかわる生活文化、あるいは「東北の自己認識」というアイデンティティにかかわる論点までを立項している。「出稼ぎ」が項目化され、「上野駅」が入り込み、井上ひさしの「吉里吉里国」に言及し、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」などイベントを扱う。「集団就職」や「山びこ学校」に触れ、「牛タン」などの生活文化にまでいたる項目は、「東北」「都市」を考察するときの視野の広さを示している。また、「東北侵略」という視点は、「中央と地元」「東北発」などとあわせて構成されており、「東北」の立場に立ったときの「中央」との緊張関係がみなぎっている。いまこそ、こうした視点と知識が必要とされるときである。

 

 

 


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