河北文化賞受賞記念 北へつづく星空 −想い出深い一会の人々−

紫桃正隆 著 1997.9 仙台共同印刷出版部刊  B6 310P 並 カバー 1,500円 

目 次

失われつつある生活のリズム
ラジオそして相撲放送
昭和天皇と御親閲のこと
恋人は空から降りてきた
黒龍江(アムール)の前線で
青空が目に泌みる自由
国境の女たち
私の下着革命
いって見ればボクも野球の監督さん       内容を見る

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 五月闇 −政宗と和賀一族−

紫桃正隆 著 2000.2 仙台共同印刷出版部刊 ISBN916105-05-2 2,400円 

目 次

第一章 和賀忠親、国分ケ原に死す
第二章 江戸汐留の蛍、政宗死す
第三章 茂庭綱元の予見、伊達騒動

書 評 〈平成12年(2000年)3月20日(月) 河北新報〉

 和賀氏の怨念に迫る 紫桃さん「五月闇」伊達騒動に新解釈
 宮城県河北町在住の作家・郷土史家で河北文化賞受賞者の紫桃正隆さんが、伊達政宗に滅ぼされた岩手県北上地方の豪族和賀氏の悲劇や、伊達騒動(寛文事件)の真相に迫った「五月闇(さつきやみ)−政宗と和賀一族」を出版した。
 和賀氏は、豊臣秀吉が命じた「小田原参陣」に参加しなかったことから領地を没収され、二十六代当主忠親は、家の再興のため政宗の支配下に入った。
 慶長五年(1600年)、関ケ原の合戦の余波が東北にも及び、反徳川の上杉方が山形の最上氏を襲った「東北の関ケ原合戦」が起こる。政宗は、山形への応援で国境の警備が手薄になった南部藩領を忠親に侵攻させる。だが、忠親率いる和賀軍は敗退。自らの策略が明らかになることを恐れた政宗は忠親を処刑する。
 政宗の死後三十年以上たった寛文十一年(1671年)、伊達騒動が起こる。当時、専断政治を行っていた伊達兵部は、政宗の子。母の勝女姫は和賀一族の出だった。
 著者は、政宗が国境を侵犯したのは、領土を自ら切り開く「中世的領土理念」を拭(ぬぐ)いきれずにいたためだと指摘。そこに、自分のことしか信じない自負心を見て取る。
伊達騒動については、兵部が伊達と和賀一族の間に生まれた子であることを 「一種の妖怪(ようかい)である」と表現。「その妖怪が一族の怨念(おんねん)を込め、憎むべき伊達家の内部崩壊、腐食、浸触のために魔の手を伸ばし始める。これが『伊達騒動』だったと考えられないか」との見方を示している。 書名の「五月闇」は、五月ごろ、湿気を含んだ大気の中で迫り来る、暗くて重苦しいやみのことだという。忠親や政宗が死んだとき、周囲はそのようなやみに包まれていたと著者は書く。そのやみは、歴史を覆う深いやみでもあるようだ。

 

 
紫 桃 正 隆(しとうまさたか)
1921(大正10)年 宮城県生まれ 作家 史家。
受 賞  宮城県教育文化功労賞(平成6年度)
      第45回河北文化賞(平成7年度)
著 書 「戦国大名葛西氏家臣団事典」
     「みやぎの戦国時代・合戦と群雄」
     「政宗をめぐる十人の女」など約40巻

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