黒龍江(アムール)の前線で

 候補馬の中に連隊本部でも名にしおう荒馬がいて、名を「安瀧」といった。私はこの馬を見て一目で気に入った。筋骨が張った馬形がよく、黒ずんだ鹿毛なのが、性格の獰猛(どうもう)さとぴったり調和する。「悪源太だな」と私はいい、近よろうとすると、サッと耳を背負い攻撃姿勢に入る。誰も相手をしないので体中がほこりにまみれて汚ならしい。
 「こわいですよ。気をつけて下さいよ」兵隊たちが心配するように、私の姿を見ると早速襲撃を開始した。「よしよし、それでいいんだよ」私は逃げながらいう。


青空が目に沁みる自由

 軍隊では階級とか役職とか新旧によって序列と呼ばれる並ぶ順序が決まっている。連隊長を最右翼に置き、私は十番目ぐらいだったろうか。校長室にあった古びたラジオを廊下側に向け、それに正対する形で不動の姿勢のまま聞き入る。やがて天皇の肉声が流れ、一同低頭する。最初はひどい雑音が混入して何を話しているのか聞きとれず、勅語の趣旨がよく判らなかったが、中段あたりから「国家の態勢に何か重大な異変が発生したな」「重大な危機につき当ったな」との直感があった。天皇の声がことさらに悲し気で、とぎれとぎれ聞える「戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れたる者、及びその遺族に思いを致せば、五内爲に裂く」のくだりでは、余りの悲しみに涙が溢れ落ち、暑さで軍帽の両側から流れ落ちる汗とそれが一緒になり、廊下の床に点々と滴り落ちた。


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